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矢吹丈は激痩せで世界戦!

金竜飛戦以降、常にウェイトとも戦ってきた矢吹丈ですが、世界タイトルマッチでは、何故か「117パウンド4分の1」とリミットの118パウンドぎりぎりではなくなりました。(16巻50ページ)何故でしょうか。

骨格自体が大きくなっていると書いてあったので、ここまで落ちるのは異常だと思います。況してや、葉子の訪問を避けていたため、練習不足でウェイトオーバーの危険すらあったはずです。

因みに、デビュー戦でさえ117パウンド2分の1だったので、117パウンド4分の1は、過去最軽量です。どこにも触れてない内容ですが、異常な軽さです。

考えられるのは、精神的な影響で痩せてしまったことくらいでしょうか。ちょっとナーバスになっていたようですからね。私には、これくらいしか原因が見当たりませんでした。

結局「あした」は何なのか

まずは、「あした」の意味からです。

「あした」が今日の翌日としての意味だけではなく、「近い将来」を指すのは、皆さんにも共通するご意見だと思います。また、西のような「今日を一所懸命暮らす人にとっての明日」とも異なり、「目標」が存在することも、必要な要素だと思います。

人によって表現は異なるでしょうが、私は「目標へ到達するために通過する近い将来」を「あした」の意味と定義します。


それでは、「あした」の台詞を多く発した丹下段平と矢吹丈についての「あした」を考えます。

段平にとっての目標は、書くまでもなく世界チャンピオンを生み出すことです。このことは第1巻から書かれていますし、丈の対戦相手で慎重になったり、フェザー級へ転向させようとしたのも、偏(ひとえ)にチャンピオンを育てるためです。

つまり、丹下段平が少年院の丈に送った手紙「あしたのために」の意味は「世界チャンピオンになるために通過する近い将来のために」なので、「プロボクサーになるために」と捉えることができます。


次は、意見の分かれそうな矢吹丈にとっての「あした」です。

矢吹丈がボクシングを始めたきっかけは丹下段平との出会いですが、真剣に打ち込んだのは、力石徹に勝つためです。しかし、力石徹に勝つことも、ボクシングの世界チャンピオンになることも、丈にとっての「あした」ではないと考えます。その判断材料となる台詞もいくつかありますが、特徴的なのが次の3つです。

・少年院からの脱走を力石にはばまれて、こう言います。「自由をうばわれるのは がまんがならねえが… 負けるってことは もっと もっと がまんがならねえ!」(2巻75ページ)
・東洋チャンピオンになったばかりの丈は段平にこう言いました。「いまより上の者が世の中にあるってことを知ってながら、ぬるま湯につかっているなんざガマンができねえのさ!」(13巻128ページ)
・ホセと戦う前にもう一戦防衛戦をすることになると、こう言いました。「なぐりあいてえ野郎がメキシコにいる だから おれは メキシコにいく!」(14巻196ページ)

要するに、自分より強い奴がいる場所がボクシングの世界だったというだけで、それに勝つためにボクシングをしているということです。上で紹介した文の「がまんがならねえ」でも分かる通り、このことは目標でも何でもなく、「がまんがならねえ」という感情的なことです。ですから、世界チャンピオンや特定の対戦相手は、丈の「あした」ではありえません。

では、丈にとっての「あした」とは何なんでしょうか。そのヒントは、ボクシングの合間合間にあります。

冒頭の大計画を覚えていらっしゃいますか。ドヤ街に遊園地や工場などを建てるという大計画です。(1巻115ページ)
養護施設を抜け出し、方々を転々としていた丈が、ようやく見つけた居場所がチビ連や段平達がいるドヤ街です。その居場所を皆が幸せに暮らせる町にしたいというのが丈の願いでした。

また、ハワイで東洋タイトルを防衛し、帰国する時の丈も象徴的です。(14巻89ページから114ページ)
機内ではホセにやられる夢にうなされていたのに、ドヤ街の住人の出迎えに会った途端、さっぱりと吹っ飛びます。そこには、「ボクサーであることもわすれた」と書かれています。

他にも、少年院から退院した丈が、ドヤ街の住人からの歓迎に感動する場面などありますが、丈がドヤ街の住人と接するときの言動は、どれも実に穏やかです。

私は「身近な人の幸せ」が丈にとっての「あした」だと考えます。ボクシングでドヤ街を活気付かせることができた丈ですが、ボクシングを辞めてからも、そして白木葉子と結婚することになったとしても、きっとドヤ街と共に生きるように思います。それが丈にとっての「あした」なのですから。

皆さんは、いかがお考えですか。

いつも着ている矢吹のコート

矢吹丈や白木葉子は、物語の進行と共に、見た目も大人に成長していきます。それも、実に少しずつです。ボクサーである矢吹には、減量苦というストーリーも成長に絡めてあるほど、あしたのジョーにおける成長の意味合いは重要です。

そこで気になるのは、矢吹がいつも着ているコートです。

物語の開始当時も東洋太平洋チャンピオンになった時も、来ているコートは同じに見えます。しかも、サイズはいつもぴったりです。

プロとなってからも、同じコートを着るために、オーダーメイドで作らせたのでしょうか。それとも、仕立て直したのでしょうか。

ドラマティックな想像ですが、もしかしたら、いつも身に着けている「帽子」と「コート」は、お父さんの形見の品なのかも知れませんね。それなら、いつまでも絶対に着ていたいという気持ちも理解できます。

ジョーは力石にクロスカウンターを打つため目が見えない演技をした

少年院での力石との試合です。

段平は、この試合に勝つために、こう考えていました。
「力石はジョーのカウンターを避けるため、一発でしとめるような強烈なパンチは打ってこないだろうが、ジョーが瀕死の状態にまで陥ったら、とどめを刺しにくる」

しかし、それを説明できなかった段平は、ジョーを混乱させただけで、ジョーも「何度もダウンさせられる」の本当の意味を理解していませんでした。

ここまでは、明記してある内容ですが、ジョーが途中で段平の目論見(もくろみ)を理解し、力石を誘うための演技までしたということが、次の言動から推測できます。

凄惨な試合を目の当たりにした葉子は、席を発とうとしますが、「まちな」「いまさらどこへずらかろうってんだい」「さいごさいごまで見とどけるんだ」「「おしまいまでちゃんと責任をもってな」と声をかけます。そして、力石とはあさっての方向へふらふらと歩き出し、ロープに突き当たります。
それを見た力石は「やつはもうまんぞくに目も見えねいのか」「ふふふおじょうさんときがきたようだ」「そろそろこの惨劇もカタをつけます」と言い、そして、ジョーのクロスカウンターをくらってしまいます。(3巻の11ページから16ページ)

ジョーのことさら「最後」を強調した台詞も、葉子が見えていたのに、力石が見えていなかったことも、ロープ際までふらふらを歩いたことも、ロープの反動を利用したクロスカウンターを打つための布石となる演技だったのではないでしょうか。

策士ですね。

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